へちやぼらけのブログ

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【悲報】結局、才能が一番だった・・・。

お疲れ様です。

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日本人は昔から努力すれば、無限の才能を開花できると信じていた。「努力は裏切らない」「努力は才能を上回る」と言ったセリフは私たちを鼓舞してくれたし、劣等生だった主人公が努力の末才能ある敵を打ち負かすという展開にワクワクした。

しかし、悲しいかな現代の発達した科学が才能の重要さを証明してしまった。

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(引用:遺伝子の不都合な事実【安藤寿康 著】)

成果を残すためには、遺伝(才能)か環境(後天的な努力や環境)か?各分野ごとに棒グラフでまとめたものだ。上図の白棒が遺伝(才能)となっており、遺伝(才能)の割合が各分野で大部分占めている。

 

このグラフから私たちは何を考えるべきか?ちょっとだけ深堀してみた。

 

スポーツ, 数学, 執筆, 音楽はほぼ才能

この結果は学生にとって、残酷な結果なのではないか? 数学ができるやつは見るからにできそうなやつで、「こんな問題なんで解けるの?」「え?なんでそんな解法思いつくの?」と驚きの連続。執筆, スポーツ, 音楽もそうだ。中学時代を振り返ってみて欲しい。執筆に優れている人は文筆家のオーラがどことなく漂い。経験値という意味でほぼ平等なはずの中学校時代から何故か市の賞とかを総なめしてしまう奴。未経験だったはずなのに1年ほどでメキメキと実力をつけて、経験者顔負けの実力をつけたサッカー部のあいつ。やはり才能だったのか・・・? スポーツの世界で成功している人, 小説の世界で成功している人から残酷とも思える言葉を引用したい。

トップアスリート:為末大さん

「成功者が語る事は、結果を出した事に理由付けしているというのが半分ぐらいだと思う。アスリートもまずその体に生まれるかどうかが99%。そして選ばれた人たちが努力を語る。やればできると成功者は言うけれど、できる体に生まれる事が大前提」

全文表示 | 為末大「努力すれば成功する、は間違っている」 「正論」なのに「炎上」してしまうのはなぜ : J-CASTニュース

 

小説家:村上春樹さん

小説家にとってもっとも重要な資質は、言うまでもなく才能である。文学的才能がまったくなければ、どれだけ熱心に努力しても小説家にはなれないだろう。これは必要な資質というよりはむしろ前提条件だ。燃料がまったくなければ、どんな立派な自動車も走り出さない。

 

悲観すべきことか?

才能が重要という残酷な結果を突きつけられたが、これは悲観すべきことなのか?私は寧ろ、ポジティブに捉えるべきだと考える。一番やってはいけないのは、才能が無いにも関わらずそれに固執し時間と金を浪費すること。「努力は必ず報われる」という無責任な発言で鼓舞する人は、元々才能, 伸びしろがあった上で成功しただけなのではないか?「努力は必ず報われる。とりあえず苦労しろ!」という体育会系的な言葉に惑わされず、「自分には才能がなかった」と早めに見切りをつけ次の分野に挑戦する。こっちの方がよっぽど賢い生き方であり、自分の人生のプラスになるのではないか。

 

才能ある分野を見つける努力
才能無い分野に見切りをつけて損切りする勇気

多種多様な分野が溢れる現代、数学や執筆に才能がなくても全く悲観することはないのかもしれない。一番悲観すべきことは、才能が無いにも関わらず時間と金を浪費すること。「数学の才能はなかったが、もしかしたらアノ分野には才能があるかもしれない。」と気持ちを切り替えて別の分野に挑戦することが大事なのではないだろうか。アレもだめ、コレもだめと挑戦して続けていく内に才能ある分野を見つけ成功する。才能が大部分を占めるという研究結果から「才能ある分野を見つける努力と損切りする勇気」の重要性を認識する必要があるのだろう。

 

努力する過程は経験値になるかも?

努力することを嘲笑したり, 全くの無駄と言ってる訳ではない。成功している人もある程度努力しているし(もちろん、才能があるという前提だが。)、努力する上で学んだ正しい頑張り方, 過程, 練習方法の工夫は、経験値として次につながっていくと思う。

 

 

何故か上から目線の記事なってしまった気がいたします。不快に思われた方、申し訳ございません。あくまで私の個人的な意見や考えである。何かご意見・反論があれば是非とも頂戴したい。